台湾映画が観たい、ふとそんな気分になった。梅雨の湿った空気や夜の雨のせいだろうか。以前、好きで時々行っていたビアバーの常連ご夫妻が台湾旅行のお土産をどっさりくれたことがあった。台湾のビールやおやつやインスタントの排骨麺(パーコー麺)など、紙袋が破れるかと思うほど本当にどっさりいただいた。そして全部美味しかった。
そのご夫妻は台湾が好きで、親戚もいて、毎年のように訪れているという。楠木さんも好きだと思うよ、食べ物がおいしいから。と言われ、食い意地の張っている自分は即座にああ行ってみたいな台湾、夜市…と夢想したものだった。
台湾は湿度がすごい、ともそのご夫妻から聞いた。滞在先のホテルで化粧をして、出かけようと一歩外に出たその瞬間から汗が噴き出して化粧が流れていく感じだと言っていた。その話と、それからこのザ・シネマメンバーズで去年ハマった台湾映画であるツァイ・ミンリャン作品の影響もあるかもしれない。ツァイ・ミンリャンの映画はどしゃぶりの雨やたまった水の印象が強烈なものが多い。じっとりとした、でも不快とまではいかない、水分をたっぷり含んだ湿った空気感。そしてその中で時折感じる、一瞬の夜風の心地よさ。それが自分にとっての「台湾映画」の大きなイメージになっているのかもしれない。
そんなわけで、梅雨のこの時期に台湾映画が観たくなり、エドワード・ヤンの「台北ストーリー」をその日の映画に選んだ。
ただ台湾映画が観たいから、配信期限も近いから、あとこれから観るつもりの「牯嶺街少年殺人事件」の前に監督の以前の作品を観ておきたいから、という浅めの理由で事前に大きく期待することもなく観たのだが、なんと、すごくいいじゃないか。また1本、好きな映画が増えることになった。
ガランとしたまだ何もない部屋から映画は始まる。借り主である主人公の女性アジンは恋人のアリョンに部屋を見せ、ここに棚を置いて、テレビとステレオを置いて、とプランを話す。しかしアリョンはこのあとすぐに海外出張に行くらしく、次に部屋に来られるのは少し先になるそうだ。二人が出て行くと、無人の部屋をバックにタイトルが映し出され、オープニングクレジットが映されていく。それが終わる頃には、裸だった窓にはカーテンがかけられ、床にはラグが敷かれ、椅子やクッションやスタンドライト、観葉植物が置かれている。壁にはポスターが飾られ、アジンの話していたオーディオセットもできている。
しかし、せっかく部屋を借り内装を整え、物を揃えていったのに、アジンは会社を辞めることになってしまう。また、二人とその周りにはどうやら何か複雑な人間関係があることをにおわせながら、物語は進んでいく。
この80年代の台北は、経済成長により急激に大都市へと変貌をとげた時期であり、映画でも新しいものと旧いもの、それらに対する女と男(アジンとアリョン)の向き合い方が対照的に描かれている。アリョンは「旧」を表すものとして描かれるが、昔からの付き合いや恩を大事にしているように見えて、それは単なる同情や哀れみ(自己愛と言い換えられるだろう)からであり、本当の愛情ではないと一刀両断される。
そのご夫妻は台湾が好きで、親戚もいて、毎年のように訪れているという。楠木さんも好きだと思うよ、食べ物がおいしいから。と言われ、食い意地の張っている自分は即座にああ行ってみたいな台湾、夜市…と夢想したものだった。
台湾は湿度がすごい、ともそのご夫妻から聞いた。滞在先のホテルで化粧をして、出かけようと一歩外に出たその瞬間から汗が噴き出して化粧が流れていく感じだと言っていた。その話と、それからこのザ・シネマメンバーズで去年ハマった台湾映画であるツァイ・ミンリャン作品の影響もあるかもしれない。ツァイ・ミンリャンの映画はどしゃぶりの雨やたまった水の印象が強烈なものが多い。じっとりとした、でも不快とまではいかない、水分をたっぷり含んだ湿った空気感。そしてその中で時折感じる、一瞬の夜風の心地よさ。それが自分にとっての「台湾映画」の大きなイメージになっているのかもしれない。
そんなわけで、梅雨のこの時期に台湾映画が観たくなり、エドワード・ヤンの「台北ストーリー」をその日の映画に選んだ。
ただ台湾映画が観たいから、配信期限も近いから、あとこれから観るつもりの「牯嶺街少年殺人事件」の前に監督の以前の作品を観ておきたいから、という浅めの理由で事前に大きく期待することもなく観たのだが、なんと、すごくいいじゃないか。また1本、好きな映画が増えることになった。
ガランとしたまだ何もない部屋から映画は始まる。借り主である主人公の女性アジンは恋人のアリョンに部屋を見せ、ここに棚を置いて、テレビとステレオを置いて、とプランを話す。しかしアリョンはこのあとすぐに海外出張に行くらしく、次に部屋に来られるのは少し先になるそうだ。二人が出て行くと、無人の部屋をバックにタイトルが映し出され、オープニングクレジットが映されていく。それが終わる頃には、裸だった窓にはカーテンがかけられ、床にはラグが敷かれ、椅子やクッションやスタンドライト、観葉植物が置かれている。壁にはポスターが飾られ、アジンの話していたオーディオセットもできている。
しかし、せっかく部屋を借り内装を整え、物を揃えていったのに、アジンは会社を辞めることになってしまう。また、二人とその周りにはどうやら何か複雑な人間関係があることをにおわせながら、物語は進んでいく。
この80年代の台北は、経済成長により急激に大都市へと変貌をとげた時期であり、映画でも新しいものと旧いもの、それらに対する女と男(アジンとアリョン)の向き合い方が対照的に描かれている。アリョンは「旧」を表すものとして描かれるが、昔からの付き合いや恩を大事にしているように見えて、それは単なる同情や哀れみ(自己愛と言い換えられるだろう)からであり、本当の愛情ではないと一刀両断される。
アジンは大きなサングラスをよくかけている。綺麗でかわいい顔に魅力的な泣きぼくろ、それをバサッと隠してしまうサングラスはなんとなく違和感を感じ、しないほうがいいのにと思ったのだが、ちらっと映った鏡台の前にはいろんな種類のサングラスがごちゃごちゃと大量に並んでいた。アジンにとって、大事なアイテムなのだ。キャリアウーマンであるアジンの上司も、大きなサングラスをかけていた。
アジンはいつも自分で踏み出して、踏み込んで、前に進もうとしている。昔の考え方が色濃く残る家を出て自分で部屋を借り、自力でひとつずつ物を揃えていくこと、仕事をすること、会社を辞めること、サングラスをかけること、アリョンと対話しようとすること。そしてそうやって前を向いているがゆえの孤独感や寂しさが常に伴う。痛くて苦しい物語だったが、そんなアジンの静かな強さが終始映画を貫いていたように思う。
内容もさることながら、ネオンの夜景やビルの屋上から見下ろす車の流れが優美で、眼福な映画でもあった。部屋好き、インテリア好きの方もきっと楽しめるし、アジンの服装もいい。一度着ていた白いシャツが部屋のカーテンに似ていてかわいかった。原題の「青梅竹馬」とは、中国語で「幼馴染み」という意味だそうだ。音楽は実はヨーヨー・マ。アリョンはこれも台湾の名監督、ホウ・シャオシェンが演じている。
アジンはいつも自分で踏み出して、踏み込んで、前に進もうとしている。昔の考え方が色濃く残る家を出て自分で部屋を借り、自力でひとつずつ物を揃えていくこと、仕事をすること、会社を辞めること、サングラスをかけること、アリョンと対話しようとすること。そしてそうやって前を向いているがゆえの孤独感や寂しさが常に伴う。痛くて苦しい物語だったが、そんなアジンの静かな強さが終始映画を貫いていたように思う。
内容もさることながら、ネオンの夜景やビルの屋上から見下ろす車の流れが優美で、眼福な映画でもあった。部屋好き、インテリア好きの方もきっと楽しめるし、アジンの服装もいい。一度着ていた白いシャツが部屋のカーテンに似ていてかわいかった。原題の「青梅竹馬」とは、中国語で「幼馴染み」という意味だそうだ。音楽は実はヨーヨー・マ。アリョンはこれも台湾の名監督、ホウ・シャオシェンが演じている。