【日芸 映画批評連携】2025#4-2 女性の抑圧を女性の世界によって描いた作品

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【日芸 映画批評連携】2025#4-2 女性の抑圧を女性の世界によって描いた作品

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  1. 執筆者:梶田 利道 映像表現・理論コース 映像専攻2年
  2. 選評
  3. 総評

執筆者:梶田 利道 映像表現・理論コース 映像専攻2年

 富裕な家に嫁いだ女性が封建的家制度によって起こる悲劇を描いた『紅夢』(大紅灯篭高高掛、1991)は蘇童による小説『妻妾成群 紅夢』を原作に中国の「第五世代」の映画監督チャン・イーモウ(張 芸謀)による監督四作目である。チャンは撮影監督の経験もある為、色と構図のこだわりによる非常に美しい画面作りが特徴であり、本作でもその魅力を全編に渡って見る事が出来る。
 本作は父の死により経済的な理由から富裕の家に第四夫人として嫁ぐ事になる女性・頌蓮が、他の夫人との権力争いによる妨害や夫人になる事へ憧れを抱いていた奉公人による嫉妬に遭い、初めは対抗すべく闘争するも、自分で招いた失敗によって終いには精神を病んでしまうというものだ。

『紅夢』
© 1991, China Film Co-Production Corporation, All rights reserved

 『紅夢』というタイトルの紅は、主人が今夜行く部屋の前に置かれる提灯を意味しており、家父長制を象徴するものでもある。夫人たちは支配を意味する提灯を強く求めており、これは女性たちが能動的に抑圧を受け入れていることを描いている。また頌蓮の奉公人・雁兒は提灯に強い憧れを抱いており、家の掟を破って自室に提灯を灯している。さらにはその事を暴露され燃やされるとそのまま死んでしまう。これは女性が男性の支配下でしか生きられないことを描いている。物語の終盤では医者との密通が暴露され死ぬことになる第三夫人・梅珊の部屋の提灯をつけ、亡霊が出たと怖がらせる場面がある。この場面では封建制度に対抗する頌蓮が家の掟を破り、使用人である男性たちを追い出している。これは主人が女性を支配するために使っていた提灯に自ら火を付けるということが重要だ。この後で精神が崩壊してしまう頌蓮であるが、ここでは自身の力によって事を動かしたのである。これは男性からの支配を必要としない、封建制度を打ち破ろうとする強い女性像である。本作では女性は抑圧から脱せられずに家に封じ込められるという封建制度の根深さを描いた悲劇的な終わりを迎えるが、このシーンでは女性に自立する力がある事を描き、封建制度の無意味さと女性の社会進出の希望を表現している。
 「第五世代」監督に見られる封建的大家族による社会に根付く古い封建秩序を本作でも見る事ができる。一見するとこの作品は地位や愛に飢えた女性たちが自らの欲望によって引き起こす醜い争いの物語に見える。だが実際は家父長制によって抑圧され、主人が提供した「家」という場でしか己を主張する事ができなくなってしまった女性たちの洗脳を描いた作品である。
 第一夫人・大太太は他の夫人と比べ決定権を持ちながらも物語上では最後まで目立った行動を起こさない人物だ。大太太は高齢であり、物語内で一度も提灯の火が灯る事がない。つまり主人は既に大太太には性的な魅力を感じなくなっており、自身もそのことを理解して諦めている。かつ第一夫人という立場で子供を産むという使命は果たした為、他の夫人との間に荒波を立てようとも思わず、ただ残りの人生を大邸宅で過ごそうと考えている。つまり大太太は封建的礼儀や家父長制といったものを受け入れて全てを放棄した女性だ。
 第二夫人・卓雲は下の二人の夫人に比べてやや年長で、主人もあまり魅力を感じなくなっているが、娘しか産んでいないため家の中での立場に焦りがあり、故に第三、第四夫人に対して陰湿に振る舞っている。卓雲は封建的礼儀に翻弄されている女性として描かれており、第一、第二夫人は家父長制に取り込まれた女性だが、第三、第四夫人は違う。息子を産んでいるが、まだまだ若い第三夫人である梅珊は、主人には隠れて担当医と不貞行為を行なっている。これは封建的家庭制度内での立場だけを求める卓雲とは違い、自身が女性であるということを純粋に愛してくれる人を求めているという人間らしい描き方だ。主人からは隠れて、ひっそりと愛を貫く事によって封建制度に反抗する女性として、梅珊は描かれている。
 これに対して第四夫人である頌蓮は主人に対して公然と対抗する。嫁ぐことで実家では涙を流していたが、第四夫人となった途端、気丈に振る舞う。また第二、第三夫人からの嫌がらせに対しても挫けるのではなく反抗心が芽生える。絶対的な主人が召使いに手を出していた時は不満を態度で示し、主人を困らせるなど第四夫人は封建制度を打破しようと奮闘する姿が描かれている。物語では女性たちの争いに見えていた行為は実は封建的な家父長制に対する戦いである。また、映画の中では主人がいない間に起きる出来事として女性が女性を追い詰める姿を描くことで、男性による抑圧を意識しづらいものとして描いているのが見事だ。この物語は結果、第三夫人・梅珊と第四夫人・頌蓮は古い封建制に挑んだのだが、梅珊は殺され、頌蓮は精神を病んでしまう。これは中国の社会に根付いた制度の根深い残酷さを意味している。

『紅夢』
© 1991, China Film Co-Production Corporation, All rights reserved

 先に述べたようにチャンは撮影監督の経験もあり、ショットは美しいだけでなく、立ち位置や色によって映像的な説明も豊富である。例えば頌蓮が初めに第一夫人の部屋を訪れた時の部屋を真横から引きで撮ったショットでは、第一夫人を上手、頌蓮を下手に配置している。それに対してその次に訪れる第二夫人の部屋では同じ横からの引きのショットで第二夫人が頌蓮を自身のいる上手に招く。これは夫人たちの距離感や立場を視覚的に表現しており、第一夫人とは距離があるのに対して、第二夫人はとても親切な人間に見えるように描いている。これは後に第二夫人が実は裏では頌蓮を貶めようとしているという事実を衝撃する為にミスリードさせるためのものとして機能している。このような映像的な説明は他にもあり、例えば本作では建物の枠を使い、画面内にさらにフレームを作り、そこに人物を配置させるショットが多い。これも大邸宅の古い封建制に囚われている女性たちを視覚的に描いたショットである。
 本作が封建制度による女性への抑圧と、それに対抗する姿を描いた作品であると言うことを理解した上で、映像に注目してみるとより一層楽しめる。

選評

 本稿の冒頭で、本作の物語を“初めは対抗すべく闘争するも、自分で招いた失敗によって終いには精神を病んでしまうというものだ。”とシンプルにまとめた点が非常に良いと思いました。この物語の核をもつ映画が、例として挙げている表現方法で映し出されると、その物語の核は、どういったメッセージになるのかという構成の仕方もあったかもしれません。そうすると、よりチャン・イーモウという映画作家を論じるということにつながりそうです。

総評

 皆さんが共通して書かれていたのは、中国の「封建制度」と、その中で、大学教育を受けた“近代的な女性”であるヒロインの生き様とその末路を描いた点を取り挙げていました。「封建制度」という言葉に関しては、精査が必要と感じました。「封建制度」と「封建的な」社会や価値観とは異なるものだからです。

 閉ざされた屋敷空間、絶対的な支配、しきたり、弱者への容赦ない仕打ちなどに抑圧の構造を見ているわけですが、それが本作が制作された1991年に「映画」として描かれる時、「封建制度」そのものではなく、「封建的な」社会や価値観によって、自由や精神が圧迫され続けるという状況が映し出されているわけです。

 そうした時に、本作が「赤」という色で美しく幻想的に彩られていることは、中国という国家の象徴の色であるとか、伝統的な、古い慣習を表しているという見方もあるにせよ、実は、映像美、色彩美といった“美のベール”で覆うことで、この作品に宿る問題意識を芸術作品という形で包み込んでいると言えないでしょうか。

 こうした視点を入れると、この映画の中で権力構造の頂点にいる富豪は映ることがない、観客には見えないという作りになっていることも重要なポイントとして浮かび上がってくると思います。(ザ・シネマメンバーズ 榎本 豊)

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