4Kレストアされ劇場公開となったロベール・ブレッソン『白夜』は、憂いと湿度を含んだブラジル音楽と上気した肌のようなフィルムの色香漂う映像美によって、約束されない男女の感情を描き、観る者を極上のメロウネスへと連れていく作品だった。
ポンヌフでお互いの物語を共有した男女の前にセーヌ川の宵闇のなかをバトー・ムーシュ(遊覧船)がやってくる時、マルク・ヒバスのグループ、バトゥーキが船上で演奏するブラジル音楽が聞こえてくる。船体につけられたいくつものライトが川面を照らし、ゆっくりとポンヌフの橋の下を通過していく。それはまるで柔らかな光を放ちながら惑星間航行する宇宙船のようでもあり、二人の男女の一瞬交差した感情のメタファーのようでもあった。このシーンの、非現実的なまでの陶酔感は忘れられない。
ブラジル音楽に限らず、この映画の中で劇伴のように聴こえてきた音楽が、カメラが動いていくとその場所で演奏されているという手法は、劇中何度も使われる。これはジャック・リヴェットの中期作品でも印象的に使われていたのだが、リヴェット作品における演奏者は、映画を舞台装置としてみせるために映りこんでくるのに対し、『白夜』における演奏者は映画を異化するために映り込むのではなく、街の一部として映画の中に存在している。路上で音楽が鳴っている街で物語を撮る。その街の“いま”、“ここ”という空気感とともに“ポンヌフの恋”を撮ったところにブレッソンの作家性がある。リヴェットの『アウト・ワン』をのぞく70年代作品は『白夜』(1971年)以降なので、本作に影響を受けているのかもしれない。
それで、この作品がザ・シネマメンバーズで配信する予定なのかというと、それは今この瞬間(2025.04.16)では未定なのが苦しい所だ。にもかかわらず、何故こうして書いているのか。それは、この『白夜』のヒロイン、イザベル・ヴェンガルテンと撮影監督のピエール・ロムは、ジャン・ユスターシュの『ママと娼婦』(1973年)にもクレジットされているからだ。
『ママと娼婦』において、ピエール・ロムは『白夜』のメロウさはそのままに、今度は美しいモノクロームでパリの街と男女の生態を見せてくれる。そしてイザベル・ヴェンガルテンは、ジャン=ピエール・レオ演じるアレクサンドルの別れた恋人役として冒頭から登場するのだが、この『ママと娼婦』においてアレクサンドルが彼女とよりを戻そうと会話するくだりは、『白夜』を経てから、是非また観てほしいシーンなのだ。
確実にユスターシュは、『白夜』のヒロインを使って、『白夜』を見た観客にはあのジャックとマルトの関係性が想起されるように、『白夜』では表現されなかった、ジャックの“生”の気持ちをジャン=ピエール・レオの口から言わせるという形で会話劇にしている。実に面白いオマージュのあり方なのではないだろうか。配信が終わってしまう前に是非、あなたの目で確かめてほしい。